【御祭神】 |
武甕槌大神
(創建時は誉田別大神を御祭神とし、八幡明神として創建された。
光圀公の社寺改革<八幡改め>により社名が変更になった) |
【御神徳】 |
武人の頭領として崇められる御祭神である。
強運の神として病気快癒・旅の安全・交通安全にも御利益がある。さらに家内安全・心願成就・殖産興業など多岐にわたる。 |
【御由緒】 |
文永年中(1264年〜1274年)の佐竹時代、佐竹藩第7代藩主佐竹義胤公が十二所八幡明神として建立したと言われるが、年代不詳。その後、永正11年(1514年)2月社村16代藩主佐竹義舜公が八幡明神として再興し、佐竹一門の崇敬する神社となる。現在ある本殿はこの時に建立されたものである。
時代が下って、徳川の時代となり水戸藩2代藩主徳川光圀公が社寺改革を断行し神社名を鹿嶋明神と改め御祭神を武甕槌大神とするように命じられる。時に元禄4年(1691年)のことである。この時光圀は御神鏡一面を奉納され、この神鏡をこの神社のご神体とするよう命ぜられ、この時を以て鹿嶋神社となる。尚、奉納された神鏡の裏面には「下檜沢村鎮守」と金文字で彫られている。
・明治6年4月村社に列格
・昭和6年2月3曰神饌幣帛終供進指定
・昭和23年7月2曰社有田4反8畝18車終戦後の農地解放により買収される
・昭和27年6月19曰宗教法人法設立 |
【祭礼】 |
1月 1日 |
元旦祭 |
4月15曰 |
春祭 |
11月15曰 |
秋祭 |
ほか、緒祈願祭
水戸藩9代藩主徳川斉昭公は、祭祀をするにあたり頭屋の制度を確立し頭屋を中心にして祭祀の諸準備をし、滞りなく祭礼が行われる様配慮され、地区を神社のある地域と神社より上(カミ)の地域と二つに区分して、3年ごとに頭屋が交替する頭屋の制度が村われた。
頭屋が交替するときは、素人歌舞伎等が演じられた。現在二つの地域はないが、頭屋制は残る。 |