【御祭神】 |
筑波男大神(伊弉諾尊) 男体山871mに祀る
筑波女大神(伊弉冊尊) 女体山877mに祀る
摂社
稲村神社(天照大御神)・安座常神社(素盞鳴尊)・小原木神社(月読尊)・渡神社(蛭子命)
境内社
春日神社・日枝神社・朝日稲荷神社・厳島神社・ 愛宕神社など多数 |
【御神徳】 |
ご祭神の二神は日本人の祖神として「古事記、日本書紀」にそのご神徳が書かれている。二神が結婚して神々を産み国産みをされたことにより、縁結び、夫婦和合、家内安全、子授け、子育て等のご神徳と、国土経営をなされたことにより、開拓、国家運営、社運隆昌、職場安全、工事安全、交通安全等のご神徳。また、豊作や大漁などの産業面、そして厄除、方位除、心願、安産、進学等の合格祈願などに祖神達の強いご神徳を戴くことができる。 |
【御由緒】 |
筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきた。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物であった。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られた。その後祖神は「いざなぎの神、いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ、いざなみ両神」として仰がれてい
る。
第10代崇神天皇の御代(約2000年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕した。第12代景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残っている。
奈良時代の「萬葉集」には筑波の歌25首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかる。延喜の式制(927)で男神は明神大社、女神は小社に列した。
中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主八郎為氏が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続いた。
江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じた。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となった。 |
【祭礼】 |
1月1日元日 元旦祭
2月10・11日 年越祭
4月1日 春の御座替祭
11月1日 秋の御座替祭 |
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