当社の北西に山あり、これを本宮と云う。神武天皇の頃、大戸道尊がこの山頂に降臨され、大宝元年(701)、役小角が神霊を武生山上に遷祀、社殿が創建されたのが大同元年(806)3月1日と伝えられる。
征夷大将軍坂上田村麿が蝦夷征伐の際、武運長久を祈願、神恩を謝して本殿を興造し「やぶさめ」の神事を奉納、この儀式は長く伝えられた。
永正7年(1510)、滝生山明王寺が建立され両部神道の道場となり、後に僧侶が奉仕するところとなったが、徳川光圀公の命に依り修験職の昔に復し、武生山飯綱大権現と称し大王院(又は大音院)が別当職として明治の神仏分離布告まで続いた。
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