【御祭神】 |
武甕槌命・経津主命 |
【御由緒】 |
創立・鎮座の年代は明らかでないが、当地内東征神社記によれば、皇紀742年日本武尊によって上河原に奉斎されたと伝えられている。
大橡氏築城に当り城の乾位に当るを以て国家安泰・居城安全の守護神として毎年元旦に奉幣した。佐竹氏を亦引つづいて崇敬し、神鏡三面を奉献。
康平3年源頼義奥州征討の道すがら戦勝を祈願し、神器神宝を奉献。古来近郷の名神霊社として著れ、其の神領は数十町に及んだ。
文禄4年、秀吉公社寺領取上げの時は六石一斗一升五合にまで縮少されたが、寛永18年己8月佐野七郎左衛門等により、附田として上神田、下神田を奉献。今もこの字名がある。
又徳川光圀公の崇敬殊に厚く、宝物「鮑貝の杯」を奉献。
徳川斎昭公、青柳の風光を賞し境内の一角に「青柳の夜雨」を選定した。
当社の最初鎮座した地点は不明であるが、たび重なる那珂川の大洪水で後退すること3回、寛永13年遷宮の儀があって、のち享保11年今の地に遷座した。
享保慶安以降の古文書は宮司宅に保存している。
明治6年4月1日 村社列格、大正2年3月13日(第129号)共進指定、昭和15年奉賛会を組織し、郷社に申請中終戦となった。
同27年9月12日 宗教法人設立。 |
【祭礼】 |
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4月7日 例祭
11月23日 新嘗祭 |
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【文化財等】 |
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名勝 水戸八景碑「青柳夜雨」(徳川斎昭公選定・かつての境内地)
宝物「鮑貝の杯」(徳川光圀公奉献) |
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