秋季例大祭…9月15・16日の二日
間
を「大宝まち」と呼びます。
これは、娯楽の少なかった昭和の頃までは、春と秋の大祭が、近郷近在の人たちにとって最大の楽しみだったことに由来します。学
校も休校か早仕舞いになり、参道や境内には家財道具から農機具、日用品の露店が立ち並び、サーカス、芝居、見世物の小屋が架かりました。地元の人も農作物
などを並べて市が開かれました。
この辺りでは、祭りをマチと呼び、祭りで開かれる市もまたマチと呼んでいました。
つまり「大宝まち」とは大宝八幡宮の祭りと、社前で開かれる市とを意味します。
現在では、市は開かれず15日の例祭だけが連綿と続けられており、下妻市無形文化財の十二座神楽の奉納や、神楽殿より紅白餅や菓子が撒かれます。
奇祭タバンカ祭…九月の十二日と十四日の二夜斎行されます。
全国でも大宝八幡宮でしか見られない珍しい火祭りです。その起源は、応安3年(1370)大宝
寺別当坊の賢了院が出火した際、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたという故事を戯曲化したのに始まると伝わります。
御神前に畳を巴型に並べ、その中央に鍋蓋を置き、鍋蓋の上に御飯と冬瓜を盛った素焼きのカワラケを置きます。
白装束の氏子青年がカワラケを畳と鍋蓋ごと拝
殿前に放り投げます。このとき砕けたカワラケを拾った人は病気をしないといわれ、参詣の人が競ってこれを拾います。
大松明に点火し、火を囲んで畳と鍋蓋を力一杯石畳に叩きつけます。このとき発するバタンバタンという音からタバンカの名が起こったといわれます。
御神火で点火した松明を両手に持った所役二名が
松明を振り回しながら駆け回り、これを四名の畳所役と一名の鍋蓋所役が、追い駆けたり逆に追われて逃げ回ります。時として参詣の人が追われもします。
祭りが終わると、この松明の灯りをもって、十二日には境内末社、十四日には本社と若宮八幡宮の御幣が新しくされます。
あじさい祭り…六月最終日曜日、境内
北にあるあじさい神苑の散策を中心に、流鏑馬・草花の無料抽選会・野点などが行われます。
あじさい神苑は、大宝城の土塁跡を保全するためにあじさいを植えたのが始まりで、現在は300種4000株を越えるあじさいが咲き誇ります。この時期あじ
さい神苑では、モデル撮影会が行われたり、境内近くでは古代蓮が咲くなど、多くの見物客と写真愛好家の人たちで賑わいます。
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